新聞記者・ジャーナリストの活躍を描いた映画

~着任してすでに半年がたっていますが、あらためて校長がどんな人間でどんな考えなのかをすこしずつ知ってもらいたいと考え、これからしばらくはエッセイ風に書いていきたいと思います。~

新聞記者・ジャーナリストの活躍を描いた映画

 私はすでに一部でお話ししていますが、中学生のころから新聞記者になりたいと思っていました。きっかけはテレビドラマです。ネットもない時代、中学生とってはテレビが社会への最大の窓口でした。なんで新聞記者がかっこよく思えたのか、それは「正義」を実現できる人というイメージがあったからだと思います。社会の様々な不条理や不正、つまり社会悪を暴力でなく言論で糺(ただ)していく。簡単に言えば悪を倒す正義の味方、といったところでしょうか。当時の私には魅力的でかっこよく映ったのです。

 そこで今回は私が見た新聞記者・ジャーナリストの活躍を描いた映画を紹介します。

 私が小中学生のころは記者が主人公となり権力の腐敗を暴くようなこのような映画やテレビドラマは結構たくさんありました。テレビドラマで今でもよく覚えているのが『追跡』(1973年・関西テレビ制作)です。新聞記者の主人公が取材を重ねながら事件の真相に迫る社会派サスペンスドラマです。戦争の傷跡、貧困、差別、暴力、詐欺、さらに政治の腐敗、権力者の横暴などが今とは比較にならないぐらいリアルに描かれており、そのぶん子供にも刺激が大きいものでした。最近は”子供への悪い影響”に配慮して表現が委縮してしまっているように思えますが、社会の実相を知るという点では私にとっては”良い影響”だったと思います。当時は日本が太平洋戦争に負けて戦前から戦後への大きな価値変換が表面的には完了した時期であり、一方で高度経済成長という急激な開発で日本人の生活や思想にさらに大きな変化が生じていた頃でした。ドラマに出てくる様々な事件はそうした社会のひずみが引き起こしたものでした。このあたりは当時私がよく読んでいた松本清張の推理小説と通じるところがあります。
 映画で最も有名かつ個人的に印象に残っているのは『大統領の陰謀』(1976年製作・アメリカ)です。これはウォーターゲート事件というアメリカ大統領を辞任に追い込んだ記者の活躍を描いています。記者の粘り強い調査と、圧力に屈することなく社会的正義を貫く新聞社の使命感が、現役大統領をも辞任に追い込むアメリカの民主主義に驚いたものでした。また個人的には『オデッサ・ファイル』(1974年・アメリカ)が面白かったです。当時は、別人になりすまして世界中に分散して潜伏、生活していたナチスドイツの幹部(戦争犯罪の罪)が次々に”発見”されるというニュースに接することがあり、子供には何のことだかわかりませんでしたが、この映画で少し理解しました。これはフレデリック・フォーサイスの同名の小説が原作となっていて、主人公はフリーのジャーナリストです。
 新聞記者の奮闘ぶりを描いた日本映画で忘れてはならないのは『クライマーズ・ハイ』でしょう。2008年製作と比較的最近です。生徒の皆さんは日航ジャンボ機墜落事故を聞いたことがありますか。これは1985年8月12日、乗客乗員524名を乗せた日本航空123便羽田発大阪行きのジャンボジェット機が、飛行中に操縦不能となり群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した事故です。生存者は4名だけという、単独機としては世界でも最も多くの死者を出した航空機墜落事故で、今でも毎年8月12日にはニュースとして取り上げられています。『クライマーズ・ハイ』は当時それを実際に取材した新聞記者が自ら書いた小説が原作となっており、日本アカデミー賞を受賞しました。また映画だけでなく、NHKが制作したドラマも秀逸です。もちろん原作となった小説もお勧めします。
 ごく最近では3年前に松坂桃李さんと韓国の女優シム・ウンギョンさんがダブル主演を務めた『新聞記者』という社会派サスペンス映画が良かったです。国家権力の闇を告発する内容で、それが加計学園問題という、故安倍晋三元首相時代の現在でも完全には明らかになっていない不正疑惑を連想させるものだったので物議をかもしました。現政権を暗に批判するというギリギリの試みだったと思います。こちらも日本アカデミーを受賞するなど映画としての評価は非常に高かったですが、大衆受けする映画ではありませんでした。あと、私は見たことがないのですが、この『新聞記者』のドラマ版がNetflixで制作されています。Netflixはテレビのようにスポンサーの目を気にする必要がないので自由がききます。社会問題を扱い、時に政府や国家の不正に切り込むようなドラマは、今後は映画やテレビより、こうしたネット配信動画制作の方が期待できるのかもしれません。

 マスコミは第4の権力とも言われています。ある政治家が独裁を強めようとしたときに、国会や司法の停止などより前に、まずテレビや新聞社を乗っ取るなどしてその政治家の意のままのニュースを流すようにして世論を操作するのが、腐敗した権力の常とう手段です。つまりマスコミが政権に対するチェック機能を果たしている国家は健全といえるでしょう。そしてそれを支える記者もまた、市民の側に立って政権を批判できるだけの高いレベルの知識と見識、そして倫理観と正義感を持ち合わせている必要があります。生徒の皆さんもその上で、ぜひ新聞を読んでみてください。きっと社会への見方も変わってきます。

 最後に、私自身のことを言えば、新聞社の入社試験に落ちて、少年のころの夢は実現しませんでした。縁がなかったといえば聞こえはいいですが、できる最大限の努力をしたかと自問すれば忸怩たる思いは今も残ります。さらに自分は本当にジャーナリストに向いていたかと今自問すれば、疑問符は消えません。しかしいずれにせよ、高校・大学でそのためにしてきた勉強・学問が今の私を形作ったことは間違いありません。それはとても意味のあることでした。

次回は漫画について書きたいと思います。