漫画!①

 今回は漫画である。私自身の人生に大きな影響を与えた(大げさではない!)漫画作を紹介する。当然古いものである。以下、それを承知の上で読んでほしい。

 還暦をとうに過ぎた今でも、私は漫画から離れられない。恥ずかしながら家の本棚は文学や専門書ではなくコミックで埋まっている。コロナを契機に雑誌の立ち読みをできなくしているコンビニ店が増えたが、たまに立ち読みを許している店に入ったときは、ささやかな感謝として必ず何か買うようにしている。それほど生活の一部になっている。

 中高生諸君にとっては私のような中高年が漫画読むことに違和感があるかもしれないが、実は日本の漫画の歴史はとても古いのだ。手塚治虫(てづかおさむ)の『鉄腕アトム』が雑誌に登場したのは1952年で今から70年前。テレビアニメとなって時の男の子をブラウン管(当時テレビは液晶画面ではなくブラウン管とよばれる画面に映し出された)の前に全員集合させたのは1963年である。

 さて、私が子供のころ、これももう半世紀以上も前の話だが、漫画雑誌を毎週買うなど我が家にとっては贅沢なことだった。しかし5歳年上の姉はどう親を説得したのか、『少年マガジン』を毎週買うことを許されていた。私が7歳、姉が12歳の時である。私にとって幸運だったのはこれが『少女フレンド』や『マーガレット』のような少女漫画雑誌ではなかったことだ。姉がなぜ少年マガジンだったのかは謎だが、当時大学生の間でも「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」と言われるほど少年マガジンは若者に支持されていたので、その影響があったのかもしれない。『巨人の星』と『あしたのジョー』、今でも語り継がれるこの名作に、私は夢中になった。

 

 前置きが長くなった、作目を紹介しよう。

『カムイ伝』白戸三平作。江戸時代を舞台とした壮大なスケールのドラマである。物語は水吞み百姓(みずのみびゃくしょう)の正助の勇気と努力と苦闘を中心に、農民よりさらに下層民である穢多(えた)・非人(ひにん)、商人、武士など様々な身分・階級の人々が織りなす人間ドラマだ。

 私が姉の部屋からこれを持ってきて読んだのは小学校6年ぐらいのころだと思う。私の部屋には『マンガ日本の歴史』があったが、そこには江戸時代に士農工商という身分制度があると書かれていた。自分の先祖はいったいどの身分だったのかな~などと子供らしい思いを巡らしていた。実際、しばらく後に自分の父方の祖母の家系が武士だったと知って、少しばかり誇らしく感じたこともあった(他のルーツは農民・漁民だった)。カムイ伝はそんな子供ののんきな夢想を、圧倒的なリアリズムで吹き飛ばしたのだ。士農工商のさらに下に、穢れ(けがれ)た仕事を受け持つが故にさらに差別されていた身分の人々がいたこと。武士の次とはいいながらもまさに“生かさず殺さず”、徹底的な搾取(さくしゅ)に苦しむ農民たち。支配階級である武士の堕落と腐敗、残虐行為。なにより才能があっても、いくら努力しても抜け出せない身分制度という仕組みの理不尽さ、残酷さ。これらが迫力ある画で描かれている。正助と農民の戦いは最後は権力者の力と策略によって悲劇で終わる。子供ごころにも、やりきれなさとぶつけようのない怒りが残った。この作品は私自身の価値観形成とその後の人生にも影響を与えている。

  『カムイ伝講義』

 カムイ伝を読んだ高校生諸君は、ぜひこの『カムイ伝講義』を手に取ってほしい。これは江戸文化研究の第一人者でもあり、前法政大学総長でもある田中優子氏が、自身の大学でのゼミの中で漫画のカムイ伝を参考資料として使っていたのだが、本著はそのまとめである。

 田中氏によると、漫画カムイ伝は江戸時代を知るためにとっても有用な教科書なのだそうだ。確かにカムイ伝にはその時代背景がかなり細かく描写されている。例えば農業技術の発展と新田開発にともなう急速な生産量の向上、養蚕や綿などの商品作物の生産拡大などの実態がカムイ伝にはかなり詳細に説明されている。またこうした経済に発展に伴い、コメの先物取引など大阪で開発された経済技術にも触れている。さらに経済の発展に伴い100万人を超える大都市に発展した江戸の町は、当時のヨーロッパなどと比べ非常に清潔かつサステナブルな都市だったとされているが、このエコシステムを支えていたのは先に述べたような被差別下層民であった。例えば大都市江戸の排泄物はこうした人々によって回収され、農村へと運搬され、肥料となって農業生産を支えたのである。また、カムイ伝は先も述べたように人間のドラマではあるが、経済だけでなく、自然や文化などもかなりのページ数を割いて丹念に描かれている。作者、白戸三平氏による膨大な資料収集と準備が漫画制作の裏にはあったであろうことが想像できる。

 カムイ伝に描かれた農民は悲惨であった。確かにそうした事実は当時の日本国内にはたくさんあったであろう。しかし広い目で歴史を見てみれば、およそ200年以上も内戦がなく平和で安定していた江戸時代は経済が発展し、文化が花開いた時代でもあった。そうした江戸時代の豊かな面もカムイ伝には公平に描かれている。その意味でカムイ伝は単なる漫画を越えて私たちが自分たちの過去を知るための壮大な歴史絵巻ともいえるのだ。

『カムイ伝』は校長室に全巻用意している。読みたい生徒は貸し出すので訪ねてくるように。

次回は大友克洋をとりあげる。

 (了)
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