サッカーワールドカップと人権問題

 サッカーワールドカップカタール大会が始まった。日本代表は初戦のドイツ戦に逆転勝利をもぎ取り、おおいに盛り上がっているようにみえる。

 さてその勝利の翌日(11/24)、朝日新聞デジタルの記事で次のようなタイトルのものを見つけた。「盛り上がらぬドイツ、日本に勝てば変わる? スポーツバー閑散、なぜ」(https://digital.asahi.com/articles/ASQCR00FPQCQUHBI02D.html?iref=pc_rellink_04)。記事の発信は試合当日のものだから日独戦の勝敗が出る前だ。

 記事によるとドイツでは今回のワールドカップは以前に比べ非常に関心が薄いという。“ドイツ公共放送ARDの大会前の世論調査によると、今回のW杯について、56%が「どの放送も見ない」と回答。15%は過去の大会よりも「見る試合は減る」と答えた”と記事は述べている。その理由は、カタールにおける外国人労働者の酷使や性的少数者に対する非寛容な姿勢などが連日現地メディアで報道されていることが影響しているとの分析だ。実際スポーツバーなどでもワールドカップは映さないとしているところも多くあるという。

 この問題は日本でも報道はされているが、それに対してあまり批判的な論調は見られない。私自身、ワールドカップのスタジアム建設で多数の外国人労働者が死亡しているなどの事実を知ったのは、オーストラリアやヨーロッパの選手の口からカタール政府に対する批判が相次ぎ、それを欧米メディアが発信し、それを日本のメディアが取り上げたことによる。日本のサッカー関係者やテレビによく登場するサッカー好きタレントやコメンテーターがこの話題を口にしたとは聞いたことがない。人権問題や政治問題、ましてやLGBTQの問題には口を出さないほうがいいと考えているのだ。

 さて、私がこの問題を知ったのは先にも述べたようについ最近だが、いつごろから問題視されていたのだろう。日本発の報道がないのか調べていたらこんな記事を見つけた。國學院大學の『国学院メディア』2016316日付『強気があだに?カタールの2022W杯は大丈夫か』同大学経済学部教授で中東経済の専門家である細井長(ほそい たける)教授へのインタビュー記事だ(https://www.kokugakuin.ac.jp/article/11017)。その記事のなかで細井教授はこう述べている「細井:カタールには元々インド、パキスタン、ネパールからの多くの出稼ぎ労働者が来ていますが、W杯に向けてスタジアムや各種インフラの工事が始まって以降、さらに中国やアフリカなどからも多くの労働者が入っています。しかし、街中で労働者を見かけることは稀です。彼らは「レイバーキャンプ」という砂漠の真ん中、建設現場の外れあるプレハブなどに住まわされているからです。カタールは夜でも気温は40度近く、夏の日中には50度にもなる非常に過酷な地です(ただし公式天気予報が45度以上になることはない)。すでに多くの外国人労働者の犠牲者が出ていると、世界中の人権保護団体やNGOが強く批判しています」。

 今後私たちは世界的なイベントに対してその背後にある人権や環境の問題にも注意を払う必要がある。日本の反応はまだまだだが、無関心でいてはいけないのだ。また、お金についても意識することを怠ってはならない。先の東京オリンピックの招致と運営についても、数億円のカネが海外のIOC委員に流れ、さらに国内でも企業から個人へのお金の流れが贈収賄罪(わいろ)に当たるのではないかと捜査中である。楽しく素晴らしいイベントは現実にはきれいごとだけではないのだ。

 最後もう一度冒頭のドイツに話を戻そう。かつてサッカーワールドカップは欧州と中南米というサッカー先進地域の交互開催だった。それがグローバル化して北米(USA)、アジア(2002年日韓共同開催)、アフリカ(南アフリカ共和国)、ロシア(前回2018年)で開催され、ついに中東地域での開催となった。次回は北米大陸3カ国共同開催だそうだ。もしかしたらドイツ人には“サッカーは自分たちのスポーツである”という自負があり、それがカネで開催地をさらっていくような風潮にしらけているのかもしれない。実際、ドイツ人はワールドカップよりヨーロッパ選手権のほうが燃えるらしい。「ドイツ人は国中でワールドカップに盛り上がっている」という私の先入観は、どうも間違っているようだ。

 (了)